Graduate School of Engineering
Kyushu University
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世界最貧国バングラデシュで感じたもの
■ バングラデシュへの2度の訪問
私は、小4と小6の冬、当時世界最貧国に数えられていたバングラデシュに計1か月ほど滞在した。これが人生初の海外渡航だった。バングラデシュには、父がJAICAの技術職として赴任しており、現地では農村部や国境地帯など、旅行では行けないような場所に足を運ぶことができた。(そもそもバングラデシュは旅行するような場所ではないかもしれないが。。)
■ カルチャーショック
バングラデシュの経験はすべてが新鮮で面白かった。空港のゲートを出ると、すぐに寄って来て私たちの荷物に手をかける人たち。これは、荷物を盗もうとしているのではなく、荷物をちょっとでも運ぶことによってお小遣いを稼ごうとしてのことだ。他にも、生きたニワトリが家に運ばれたかと思うと、その場でニワトリをさばき始める叔母さん。自動車とリキシャがひしめき合って全く動かない交通渋滞。鳴りやまない夕方のクラクション。朝4時ごろから町中に鳴り響くアザーン。ある農村に行った時には、あまりにも日本人の子どもが珍しいのか、30mくらい距離を空けてどこまでもただひたすらついてくる群衆約100人などなど。衝撃を受けた事例は枚挙にいとまがない。
■ 首都ダッカで目の当たりにした格差
首都ダッカで特に驚いた2つのことがあった。
1つ目は、貧困である。大通りは自動車や通行人がひしめき合い活気があった。しかし、1本裏路地に入ると、薄暗くて汚い貧困街がたくさんあった。町中を歩いていると、たくさんの乞食を目にしたし、同年代の子たちがお金を恵んでくれと言い寄ってくることもあった。私の乗っている車が赤信号で止まると、花やポップコーンを売り来る子たちもいた。生まれる国を選べるわけでもないのに、生まれた場所でこんなにも人生が違ってしまうのかとただただ感じた。あの子たちが私に向けたまなざしは今も脳裏に焼き付いている。あの何かを切実に訴えかけるまなざしを見た後では、自分が日本に生まれて良かったと人ごとのように単純に思うことができなかったことを覚えている。
2つ目は、格差である。世界最貧国と言われる国も、すべてが貧しいわけではない。国会議事堂は日本のものより豪華だった。また、父のバングラデシュでの暮らしは、日本の暮らしよりも明らかに良かった。アパートの外見はびっくりするくらい綺麗で、アパートに出入りするには、厳重に閉ざされた柵を門番に空けてもらう必要があった。また、父には専属の運転手と家政婦もついていた。これは、1つに治安対策である。治安を確保するためには、それなりのアパートに住む必要があり、そこでの暮らしは平均的な日本の暮らしよりも豪華に見えるということだった。それに加えて、運転手や家政婦を雇うのは、現地の経済に貢献するという意味があるらしい。理屈を聞けば理解できないことはないが、街中で感じる貧困と“大人の理屈”に、幼いながらに矛盾を感じたのを覚えている。
■ 農村部の子どもたちの笑顔
バングラデシュの農村部は、さらに貧しかった。シャツを着ない子どもたち。ボロボロの靴を履いた子どもたち。裸足の子どもたち。首都ダッカと比較しても明らかに貧しかった。(私が小学生のころ、近所の公園でよく半裸や裸足でサッカーをしていた。もしかしたら、心のどこかにバングラデシュの子たちを意識していたのかもしれない。今ならそう弁明することができる笑)
しかし、貧しさよりも衝撃的だったことがあった。私が最も驚いたことは、農村の人たちの幸せそうな笑顔だった。物質的な豊かさと主観的な幸福が必ずしも一致しないということを幼いながらに悟った瞬間だった。
農村部でもう1つ感じだことがあった。それは、みんなが“平等に”貧しいということである。もちろん、首都ダッカや日本と比べれば、格差は明確であった。しかし、農村部内には目見つく格差は少なくとも小学生の私にはないように思われた。ダッカの路上で花束を売ったり物乞いをしたりしていた子どもたちと、農村部の子どもたち、どちらが(物質的に)貧しかったかは分からない。しかし、農村部の子たちの方が主観的な幸福度が高いということは、彼らの目の輝きを見れば一目瞭然だった。
■ 絶対的貧困と相対的貧困
貧困には、絶対的貧困と相対的貧困がある。絶対的貧困は基本的人権に侵すため、SDGsにおいても絶対的貧困の解消は第1目標に掲げられている。もちろん、絶対的貧困の解決は急務である。しかし、絶対的貧困の解決も物質的な豊かさも、その目的は人間の幸福にあるべきである。バングラデシュの都市と農村の比較からも分かるように、人間の幸福を考えるとき、絶対的貧困に加え、相対的貧困も考慮する必要がある。つまり、格差の是正が不可欠である。
現在、日本は世界の経済大国であり、絶対的貧困はほぼないと言える。しかし、日本の子どもの相対的貧困はOECD諸国の中で低水準にある。相対的貧困は、若年層の人格形成を図るうえで、大きな障害になるのではないかというのが私の個人的な見解である。
■ 小学生での体験
バングラデシュでの体験は、そう珍しいことではないかもしれない。いかにも途上国を経験した人が言いそうな内容とである。しかし、小学生でこのような体験を“生”できたことは、あまりにも大きな私の財産である。誰に何を言われなくとも、社会にどのように貢献をすべきかを自然に考えられるようになったのは、バングラデシュでの経験のおかげである。その点で、この経験は、私の人格形成に大きな影響を及ぼしていると言える。また、人生においても研究においても、モチベーションを提供してくれている貴重な原体験であった。